「現代京都における変態生活者の実態と棲息状況について(抄)」
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▼キム:では、はじめさせていただきます。本日の座談会のテーマはクイアーです。最近、日本でクイアーという言葉が注目されていますが、これはもともと海外のレズビアン・ゲイ運動の進行につれ、両性愛者、両性具有者等、レズビアン・ゲイという囲いからはみ出す存在が多数あることが明らかになり、そういった人々、広い意味でのセクシュアルマイノリティを示す言葉として使われ始めた言葉です。私が初めてクイアーという言葉を聞いたのは、ドラッグ・クイーンが自称「私はクイアーよ」と言ったときなので、クイアーという言葉には明るくポジティブなイメージを持っています。「みんな同じだ」と考える社会に対して、「私は違う」ということを唱える、「意識的に自ら考えるものとしてクイアーな人になろう」と、そういう風に私はクイアーという言葉を考えていますが、皆さんはどういう風にクイアーという言葉を捉えていますか?もしくは、クイアーにまつわる話を聞かせて下さい。
▼ミゲル:クイアーという言葉は私にとってもポジティブに聞こえます。レズビアン・ゲイ運動の範囲を広くしようとする言葉だからです。
▼ヒッピー:レズビアンとかゲイとか、そしてバイ・トランスセクシュアル・両性具有者等のセクシュアルマイノリティーを総称して「クイアー」と呼ぶのには極めて大きな違和感があります。「クイアー」という言葉は、その人の属性やアイデンティティー、何者であるかといった意味で使うべきではなく、例えば「クイアーな振るまい」等のように形容詞として使ったほうがいいと思います。もちろん、レズビアンやゲイのコミュニティーがいろいろな人を受け入れようとする動きはとてもいいと思うのですが。ぼくはそこにどうしてもヘテロ社会の被害者としての同質性・仲間意識・なれ合いを感じてしまいます。
▼キム:仲間意識っていうのは具体的にどう悪い面を持っているの?
▼ヒッピー:「私たちは同じ立場だから解り合える」っていう形で「私たち」という集団の内部にある違いを覆い隠してしまうような気がする。と同時に、ヘテロセクシュアルの人を「私たち」とわざと切り離すことによって断絶を余計に作っているような気がする。ヘテロセクシュアルな振る舞いを強要する雰囲気や文化が悪いのでしかないのに、ヘテロセクシュアルの人を攻撃することによって、自分達の仲間意識を作ったりしていない?それに、名前を「クイアー」に変えても運動の中身がかわらなきゃダメよ。「ゲイの運動」を応援したり「ゲイの問題」考えたり、またそういう人を増やすために「クイアー」っていうくくり方をするんじゃないのよ。ゲイはゲイ以外の人の問題を考えなきゃいけないの。むしろ今考えるべきことは、ゲイの運動がゲイ以外の人と共同して何かをするときに「ゲイ中心主義」とでもいうものからどう降りることが出来るのかということだと思う。
▼キム:それは、ヘテロセクシュアルの世界からゲイがはじき出されたみたいに、ゲイの世界からもいろんな人がはじき出されている、ってことだよね。セクシュアルマイノリティーを「クイアー」とくくっていいの?
▼ヒッピー:さっきから駄目だと言っているでしょ!!
▼ミゲル:確かにつまらないところがあるでしょうが、とりあえず、このヘテロセクシュアル中心の社会だから、ゲイ・レズビアンのカテゴリーに入らないいろんな人を切り捨てて認められようとするより、自分を主張しながら出来るだけ多様な人と共生していきたい。
▼キム:共生するために「クイアー」という言葉が役に立つ?
▼ミゲル:「クイアー」には多様性を祝おうというニュアンスが入っていると思うから、そうじゃない?
▼ヒッピー:でも、所詮、ノン・ヘテロでしかないわ!
▼ミゲル:ノン・ヘテロより、あえて言えば、ノン・ヘテヘテじゃない?
▼みあ:「ヘテヘテ」って何?
▼ミゲル:つまり、ヘテロ以外の存在を認めようとしない態度。
▼みあ:認めようとしないってことはホモフォビアのこと?ヘテロ以外の存在を考えようともしない、もしくは知るきっかけすらもなかったヘテロもヘテヘテと言うの?
▼モリアイ:そうじゃない?自覚しなくていいと言うこと自体が状況の差を物語っていると思うし。その鈍感さは「知らなかった」では済まされない。無知は罪よ!
▼キム:鞭?
▼モリアイ:(無視して)ただし、ここでハッキリさせないといけないのは、ヘテヘテ、つまりそれはヘテロセクシズム(=強制異性愛社会)を指しているのであって、ヘテロセクシュアルを指しているわけではないのよ。ヘテロであること自体は問題ではない。問題なのは、マジョリティであるということを正当性の根拠にすることであって、マジョリティであることがそれ自体罪であるわけではないのよ。同じように、マイノリティが他のマイノリティと自分との差異を考えない事は傲慢だし、マジョリティになることで、社会に認められようとすることはつまらないと思う。
▼みあ:人間なんて、2人以上存在すれば、絶対に同じなわけないのに、なんで、「あなたはあなた、私は私」という前提のもとで人間関係が築かれないのかなぁ。「同じだから安心」って言う人、私には理解できない。
▼キム:それはマイノリティーの中にも、「クイアーじゃない人」っているし、マジョリティの中にも「クイアーな人」いるってことだよね。「クイアー=セクシュアルマイノリティ」とするはじめの意味づけとは違ってくるね。
▼モリアイ:そうだよね。確かに、「同じ」と言うことに安心するところが私にもあるけど、いろんな人の違うところを知るのはとても刺激的だし、少し怖いかもしれないけど面白いことだと思う。「変=普通じゃないこと(普通って?)」は蔑まれるべき事でもないし、別に誇らしげに見せびらかして特別な存在として自分を格上げする為に使われるものでもないと思う。
▼みあ:差異があって当然だし、もしその自分との違いが自分の価値観と全く合わないとしても、それを否定するのはちょっと違うよね。
▼モリアイ:「違う」っていうことと、対立することは別ですものね。これって大事やわぁ。
▼ヒッピー:私もさんせ〜い!ところでねえ、こんなのはどお?「クイアー」ってのはさ、その場、その場で当たり前とされていること、自明だと思われてて意識すらされていないこと、そんな予定調和を壊すような振る舞いのことだと思うの。これはアートスケープである人が言ってたんだけど「思わずハッとして実は僕たちは一人一人なんだと気付かせてくれる振る舞い」のことさ。だいたい、街中でも教室でも電車の中でもぼくたちは一定の身ぶり・振る舞いの様式を強要されているわけじゃない?無自覚すぎて強要されたとすら思ってないのよ。そういう、ある意味ではわかりにくい強制・社会的な権力、つまり文化からいかに自由になるかってことだと思うの。ヘテヘテな場でゲイだと名乗ることはクイアーな行為だけど、同じ人がゲイコミュニティーでゲイだと名乗っても何でもないよね。
▼キム:う〜ん、ずいぶん政治的な話だねぇ。
▼ヒッピー:そういう風に考えることによって「セクシュアル・オリエンテーションの話だけが特別に重要な事だ」という傲慢が避けられるし、どのような立場の人も自分の社会の中での生き方の問題として共通にかつ対等にものを考える土俵が出来ると思うの。
▼キム:じゃぁ、ヘテロセクシュアルが多くの人に当たり前とされている社会において、セクシュアルマイノリティが自己主張するときに「クイアー」という言葉を使うことはどう考える?
▼ヒッピー:何回も言うけど、セクシュアルマイノリティの総称として「クイアー」を安易に使うのはやめた方がいいと思う。というより、レズビアン・ゲイ・バイ・ヘテロといったどんなカテゴリーにも入る必要はないのだ、どんなに変態でもいいのだ、他の人と同じ必要はないのだ、ひとりだけ違ってもいいのだ、今ここで異論を唱えてもいいんだ、少数派が損をすることこそが不当なのだ、等という事を、様々なカテゴライズすらできないようないろんなセクシュアリティの人たちとの出会いの中で気付いた人たちが、他の様々な領域(性・セクシュアリティーに限らず)で同じ様なことを考えている人たちと共に、(もちろん、ゲイかどうかヘテロかどうかに関わりなく)社会に訴え、共に祝っていく、そういう中で「クイアー」という言葉を使うのだったら、いいかも知れない。でもそれは、「私たち(当然ここにはヘテロセクシュアルの人たちを含んでいる!)」の総称と言うよりも「クイアーなあり方・生き方」を一人一人がそれぞれに提案するって事なのよね。決してセクシュアルマイノリティだからクイアーなのではない。「クイアーな生き方」は本人が自分の意志で選択するものだし、ぼくはそれを目指したいってこと。あら、フーコーの受け売りね。ところで、ここまで言っておいてなんだけど、「クイアー」ってオシャレすぎてリアリティがないのよね。「クイアー」ってそもそも向こうではセクシュアルマイノリティに対する蔑称だったのよね。日本で言うなら、「オカマ」とか、「変態」って言葉がそれに近いはずなの。だからぼくたちもこのパンフレットのタイトルには「変態生活者」って言葉を使ってみたのよね。
▼キム:「変態」はまあ、いいけど、「運動」のやり方も見せ方も考えるとき、一体オシャレの何が悪いん?それ自体はもっと認めてもいいんじゃない。参加する人も増えるかも知れないし、何といっても、自分が心地よいスタイル・ファッションで私は動きたい!やっぱりラバーよ!やっぱりレザーよ!
▼ヒッピー:それはそれでいいんだけどさ、現実にがんとして存在する、例えばヘテロセクシズムの社会をね、「クイアー」と言うことによって風穴を空けたり揺らしたりするのはちょっと無理だと思うの。外国では「クイアー」は蔑称だったからこそ本人たちが逆に開き直って使うことがインパクトがあったんだし。「そうさアタイはまさにアンタが蔑んでいるような人間さ。で、それがどうしたの?」って感じでね。だからとりあえず「変態」って日本語で言ってみたんだけど。難しいよねぇ。
▼キム:じゃぁね。今までProject Pはセクシュアリティーをキーワードにイベントとかやってきたけど、じゃぁ、これからキーワードをセクシュアリティーに限定しないで広い意味での「クイアー」にしましょうか?
▼モリアイ:それって例えば、レズビアン・ゲイパレードの名前も「クイアーパレード」にするって話?
▼ヒッピー:う〜ん、難しいねぇ。でも、いずれにせよ、ゲイとレズビアンだけが主体であり、ゲイとレズビアンのことだけをやるパレードってことにはこれからはならないと思うんだけどな。
▼モリアイ:ちょっと固かったかしら?皆さん、いろんな事をお話ししたりしましょうね。待っているわ!
▼みあ:いろんな違いを見て欲しいよね。
▼モリアイ:雑多な変態どもがお待ちしてるわ!

CHAPTER 3 FUNDAMENTAL RIGHTS (ss. 7-35)
8 Equality
(1) Every person shall have the right to equality before the law
and to equal protection of the law.
(2) No person shall be unfairly discriminated against,directly
or indirectly, and, without derogating from the generality of
this provision, on one or more of the following grounds in particular:race,gender,
sex, ethnic or social origin, colour,sexual orientation, age,
disability, religion, conscience, belief,culture or language.
(CONSTITUTION OF THE REPUBLIC OF SOUTH AFRICA, ACT 200 OF 1993
[ASSENTED TO 25 JANUARY 1994] . . . .[DATE OF COMMENCEMENT: 27
APRIL 1994])
私の友人のTS(トランスセクシュアル)は「生物学的な性別に男と女との中間があるのなら、ジェンダーにも女と男との中間があってもいいじゃない。わたしの性別はニュートラルジェンダーよ!」と言っています。なるほど。
「gender(社会的・文化的性差)」「sex(生物学的性差)」「sexual orientation(性的指向)」の3つはそれぞれ関連は持ちつつ、しかしそれぞれ別の問題を提起しています。例えばゲイの男性にとっては自分の性別が男であることは自明のことですし、社会的に女の人が置かれる立場とかにはあまり関係がありません。でもレズビアンと一緒になにかやろうと思ったら、セクシュアル・オリエンテーションのことだけを考えるわけにはいきません。レズビアンのその人自身が自分の問題を考えるときには、当然ジェンダー(男性優位主義の)問題も切実ですし(だいたいまずいい稼ぎの仕事が少ない!)、ジェンダーの問題を切り離してセクシュアル・オリエンテーションのことだけを考えるということになればそれは単にレズビアンがゲイの都合にあわせている(あわせられている)に過ぎません。そのほかにも障害を持ったゲイにとっては障害者が置かれる問題をはしょって行われる(セクシュアル・オリエンテーションのことだけを考える)ゲイの運動は単に健全者の運動に過ぎない訳だし(介護がいなければゲイサークルの集まりに参加することさえできない)……。だから例えば「セクシュアル・オリエンテーション」のことだけを考えることで済む人というのはゲイの中でも(数は多いかもしれないけれど)一部分でしかありません。もちろん自分の問題だけを考えても悪いわけではないのですが、それは実はよく考えてみるとヘテロ社会の中でセクシュアルマイノリティーがされていることと一緒だったりすることにもそのうち気がつかざるを得ません。自分のことで精いっぱいなのに人のことなんて!--と言って、セクシュアルマイノリティーのことは黙殺されてきました。
今の社会の性にかかわる規範を変えていきたい、という意味での「私たち」という枠組みは果てしなく広がっていきます。レズビアン・ゲイ、半陰陽者、トランスセクシュアル、バイセクシュアル、フェチ、女、性暴力の被害者……。その1つ1つのくくりどうしでも抱える問題は違うし、そしてその各々のくくりの中でさえ、一人一人抱える問題は違います。
ここまで考えたとき、「私たち」1人1人がお互いに出会っていくこと、共同して今の社会の性にかかわる規範を変えていこうとするときに使われだしたのが座談会でテーマになっている「クイアー」という言葉です。