これまでの被告の陳述書及び証言内容を考察し、また原告本人尋問を省みて、下記の通り追加・補充の陳述を致します。
(1) 入札工事の積算や通常施工における検収業務に欠かせないものとして単価適用基準と請負契約単価表がありますが、大阪ガスは度々これら単価適用基準と単価表を変更改訂してきました。私が建設部に配転された86年から95年までの約10年間は、ほぼ1ヶ月に1回、少なくとも2ヶ月に1回は大阪ガス主催の検収会議が開催され、改訂内容について通達があり、相互に意見や情報交換をしてきました。この会議に他の工事会社は管理監督者が出席してきたことは既に証言してきましたが、女性は一貫して私1人でした。
2000年9月27日、3年ぶりに会議が持たれました。これは2000年10月1日から単価適用基準と単価表が大幅改定されることにより、大阪ガスがその説明のため、各工事会社の積算及び検収担当者を招集したものです。1997年10月に大幅改訂された後、この3年間に40ページ以上の部分的な改訂がありましたが、2000年10月からは、本管、支管、供給管すべての単価適用基準、単価表の全面的な改定がなされた訳です。そのため、大阪ガスからも設計、購買グループの面々が同席され、他の工事会社も各社、管理者と監督者が二人づつ参加されていました。
この時も京ガスからは私一人しか参加しませんでした。
会議終了後、近畿ガス工事のNM所長から「屋嘉比さん、今日も一人ぼっちか?いつも一人やな」と言われました。
(2) 2000年10月から各工事会社は、大阪ガスとのオンラインによるパソコンでの図面作成が義務付けられました。これは供給管では既に11月1日から実施していますが、本管は2001年1月からは、ANDES作成(CAD)と大阪ガスの指令書で指定された物件のみですが、4月からは本格的に全ての本管図面がパソコンによる作成を義務付けられます。そのための講習会が2000年10月2日から5日まで行われ、京ガスからは10月2日と4日の2日間、私とFJさんという若い監督が参加しました。この講習も他の工事会社はベテランの監督が二人参加されており、女性は1日目の本管図面は私一人、2日目の供給管図面だけ他に一人おられただけです。
つまり京ガス以外の各工事会社では、工事の積算、精算は管理監督者の日常業務であり、図面のパソコン化においても監督職の職務として位置付けているということです。大阪ガスとのオンライン化により、各工事会社でのMACSを初めとするコンピューター業務が必要不可欠なものとして存在し、パソコンによる処理が絶対要件として義務付けられているのです。
監督職が通常使用する工事仕様書の中でも、提出書類という項目があり、私が日常業務としている全ての書類作成は監督職の職務と見なされています。
大阪ガスでは監督が検収や積算に精通していて当然という認識があり、他の多くの工事会社においても、監督は資格を取得し、現場での作業に従事するだけではなく、検収業務ができて一人前という考え方を持っておられる訳です。
京ガスのように、積算や検収業務及びコンピューター業務に監督が全くタッチしないという在り方は、他社ではまず考えられない実態であるといえます。
京ガスは過去に、私が所属するおんな労組との団体交渉及び大阪府の地方労働委員会での審問で、女性が監督職に就くことは「非常に難しい」と言い続けました。主な理由はわずか2〜3%しかない夜間業務と、日常的な社外での労働、また工事士たちとのノミニケーションでした。そして、裁判においても、管理者KW氏の証言で、他の工事会社にも女性の監督職は存在しないと言い続けてきたのですが、去る2000年10月26日の原告の反対尋問で他社の女性監督職の件が突然浮上しました。この中で、「女性の監督職は勤続年数が短い、2〜3年で退職していることを知っていますか?」という質問が出されました。
監督職の資格取得に至る経過は証言してきましたが、入社半年ほどで、大阪ガス主催の講習を約2週間受けて監督補助者の資格を得、その後2年間現場体験をすれば監督職の資格試験を受験することが出来ます。監督職の資格取得には運転免許証を取るのと同じように、男女の処遇の差はもちろん年齢制限も無く、誰でも教育訓練の過程を経れば取得できるものです。また何年でも受験し続けることもできます。しかし、現場を知るということが前提条件となります。そのため、監督職見習として採用された人達は毎日現場に出向き、各現場を転々とする中で工事現場の実態を学習し、いわゆるOJTを受けた上で監督の資格試験を受験することができるわけです。
もちろん私は他社の監督職の就業状態を知る由も無く、実態は把握できかねますが、仮に3年未満で女性の監督職が退職しているということが事実とすれば、彼女たちは監督職の資格を得る前につまり見習い期間の間に退職したということになります。監督の仕事は、現場の工事士たちとのコミュニケーションが非常に大切です。工事士たちと相互に信頼し合い、協力し合う中で工事士も監督も仕事を習得するのです。工事士は勤続20年、30年の熟練工であり、自分の仕事に誇りを持っています。男女を問わず、仮に資格を取得したとしても、勤続年数の短い監督が工事士たちの協力を得ることは、(親方、手元という)封建的慣習が払拭できていないガス工事会社のような職場では難しいこともあります。男性しか監督職にはなれなかった京ガスでも、木元さんという監督は資格取得に8年も費やし、工事士の信頼を得られないまま終に退職しました。1年前後で退職した監督補助者も、私が勤続した20年間では数え切れないほどいます。
健全な人間関係の元に、公平な教育訓練の機会が保障され、その中で仕事を習得していくことは、あらゆる職場の全ての労働者に通用することです。男女を問わず、経験の浅い人達に労働意欲を持たせるためには、管理者や周囲の古参の労働者たちの配慮や支援の在り方が問われるのだと思います。監督職は仕事がきついから、女性では続けられなかったという結論の出し方は明かに性差別的なものではないでしょうか。
労働環境の整備は雇用責任であり、監督職だけではなく、あらゆる部門でより優れた人材を育成することは企業が繁栄していく上での原則です。京ガスのように慣行や風潮だけに囚われず、各分野において性別に関係無く公平に処遇していくことができるような環境整備を行った企業こそが、社会の要求に応えられるのだと思います。
私は地方労働委員会の審問でも証言しましたが、建設部に配転した後現在まで従事している検収及び積算の仕事は、確かにやりがいのある仕事だと思っています。
しかし、それは会社から「やりがいのある仕事だからやってみたら」と言って引継ぎされたものではありません。解雇撤回以来、2年間にも及ぶ仕事の干し上げ、そして、数々の非人間的なイヤガラセの末に配転され、ようやく仕事にありつけたというのが実態でした。
建設部の管理者は私に当時の単価適用基準と単価表を手渡しただけで、私は全く何らの教育も訓練も受けてはいません。また、驚いたことに、監督職は一切関わり知らずという状態で誰にも尋ねることは出来なかったのです。それは15年経った今でも同じ状態です。私は一人で単価適用基準を消化し、過去の図面や施工報告書を見ながら仕事を覚え、長年の間に次々と変更される基準や図面作成のやり方、複雑な積算方法を他社の管理者に指導を受け、自らの努力によって習得し今日に至りました。この事実は、建設部長の河合氏が証言の中で繰り返し認めています。
そして私は、解雇撤回後会社の悪意によって立ち切られた人間関係を取り戻すために、1986年から4〜5年の間、つまらないと思いつつも、工事士や監督たちとのノミニケーションにも積極的に参加し関係性を深めていきました。もちろん私の仕事を評価するからこそ、管理者初め監督や工事士たちも私を信頼し、仕事を全面的に託してくれたのです。私は残業も厭わず、迅速且つ正確に仕事をやりこなす中で、大阪ガスの評価も得ました。そして、何よりも自分で采配し、判断できる仕事という意味で「やりがいのある仕事」と言えると思います。常に京ガスの利益と工事士たちへの配分、また大阪ガスの評価に配慮し、日々期限に追われながら、膨大な量の仕事をたった一人で誰の支援も得ず処理していくことは並大抵ではありません。しかし、私は弛まない努力によって京ガスでは代替不可能な人材となったのです。
報いられないものは、その仕事に応じた賃金です。「やりがい」とはあくまで自分の力で勝ち取った自己実現という意味であり、不当に差別された痛みは日々精神を腐らせます。私の仕事に何ら口出しも出来ないほど全面的に委任しているにも拘らず、女性であるがために半人前の労働者と決め付けてきた企業の在り方がいつまで許されるのでしょうか。甚だしい人権侵害であり、即刻改善されるべきだと思います。
1983年11月に会社から提案された合理化によって、私を含む女性社員3名と嘱託社員3名が解雇通告を受けたことは既に陳述書や証言で明らかにしてきたことですが、この指名解雇について会社は勤続年数の短い人を対象にしたと一貫して主張しています。
しかし、あくまで勤続年数の短い女性であって、嘱託社員以外の男性は勤続年数にかかわらず対象とはなっていなかったのです。現に私やNKさんと同期の佐野さんはどうでしょうか。彼は当時私やNKさんと全く同じ勤続年数であり、また彼は83年当時はまだ監督見習であって監督職ではありません。彼は85年1月にようやく供内管工事監督者の資格を取得したのです。つまり合理化強行当事は、私や同期の女性と同じように無資格の監督補助者に過ぎませんでした。尋問の中でも触れましたが、私たちの後に3人の若い男性が1年後或いは2年後に採用されています。彼らは入社わずか1〜2年だった訳です。会社のこれまでの主張から言えば、「男は社会的期待度が高いから先行投資をしている」という論理になるのでしょうが、入社3年を経た女性社員たちが、同期男性やもっと勤続年数の少ない男性がいるにもかかわらず、単に女性の中では入社暦が浅いというだけの理由で指名解雇の対象になったことは性差別以外の何物でもありません。このような理由で解雇通告を受け、たった一人で解雇撤回闘争を闘わざるを得なかった私の人生は一体何だったのでしょうか。
当時の安藤社長は1983年11月26日の合理化提案時においてこのように語っています。「ガス工事会社は以前は儲かっていたはずや。儲かっていた時に貯金しといたら良かったのに。あの金一体何処へ行ってしもたんやろ」と。社長自らが、当時の合理化に合理性が成り立たないことを証明する発言をしているのです。京ガスは1960年後半から1970年後半にかけての日本経済の高度成長期に膨大な利潤を得ています。これは当時からいる工事士たちから「昔は良かった」と散々聞かされてきた話の中でも推測されます。そして、私が入社した1981年3月には新社屋(現在の社屋)を建設し、設備投資をしています。しかし、経営者が次々と代わる京ガスのような会社では、責任を持って企業の運営を行う人は存在せず、またその必要も無かったのです。安藤社長は前社長が出した赤字の精算と京ガスの再建のために親会社から出向させられただけの人でした。京ガスの経営状況はもちろん職場の実態もほとんど把握できないままでした。当時の役員は過去の利益がどのように処理されたのかも説明できず、誰でもいいからとアリバイ的に指名解雇を強行したのです。
安藤社長の女性に対する発言は許せないものですが、私たち被解雇者が女性の中で勤続年数が短かったという理由は当時一度も語られたことはありません。その後12年も経て、おんな労組が地労委に申立てした後に、さも合理性があったかのように取って付けられたものなのです。しかも男性の勤続年数は一切問わず、女性は生活が掛かっていようが切られて当然という性差別に満ちた主張は不当なものと言わざるを得ません。
証言及び陳述書2でも詳しく述べましたが、私が所属するおんな労働組合は1995年5月、大阪府の地方労働委員会に救済申立てをしました。申立て直後の調査の段階から、公益委員は男女差別には不慣れで、地労委にはそぐわないという趣旨の発言をされていましたが、結局13回の審問を経て結審となりました。審問の中でも、「男女差別は充分に理解できるけれど、不当労働行為性が明確ではない」という言葉が繰り返されました。その理由の主要なものは、(1)、おんな労組が団交を始める以前から、それだけではなくおんな労組が結成される以前から、すなわち屋嘉比が入社当初から男女賃金差別が存在したということ。(2)、男女での格差は明らかにに存在するけれど、同期入社の女性(NK)と入社時点から全く同額の賃金であったということ。
おんな労組の組合員として、また職員の組合役員としての私に対する不当労働行為は数限りなくありましたが、それが上記の理由で直接賃金差別に結び付かなかったのです。組合活動に終始積極的で常に会社と対峙してきた私と、執行委員として名を連ねることが仮にあったにせよ、本来の組合活動とは無縁で、かつ私が建設部に配転されて以降は、仕事内容も明かに異なった生越さんとが入社以来一円も違わない賃金だったのです。会社が一方的に根拠も無く何度か取り入れた調整金の額も、私とNKさんは全く同額でした。不当な差別賃金ということが明白になっても、賃金差別が労働組合法第7条違反とは判断し難いと公益委員が考えることは当然です。
また、MK総務部長の証言で、初任給から同期男性とは3万円余りの格差が存在したということが分かり、これもまたおんな労組の組合員に対する不当労働行為性を立証し難い根拠となりました。同期男性とは81年の初任給段階では3万円余りの基本給の差が、94年4月時点では7万4000円まで開いていました。この理由をMK総務部長は地労委では明確に述べることはできておらず、1996年5月29日の第11回審問で、組合側の尋問に対して「率の部分と額の部分とがあって、率の部分が大きければ、その差がどんどん開いていくことになる」と答えているのみです。
つまり、男女間格差が初任給段階からあり、その後一度も格差が縮められることなく、初任給からの昇給の「率」が大きかったために格差が拡大したと述べている訳で、男女間による格差のみが厳然として存在したことになるのです。
上記の観点から見ても、屋嘉比の組合活動による賃金差別というよりは、公益委員の大塚氏が繰り返したように男女間の賃金差別としか言いようがないものでした。
また、1997年10月におんな労組が地労委に斡旋を申請した折にも、会社は斡旋委員の池田氏から「情勢を鑑みても男女格差は改善すべき」との、再々にわたる積極的な勧告を受けたにも関わらず、斡旋さえ拒否したのです。
このような経過から、おんな労組は救済申立てを取り下げるに至りました。
1994年9月からのおんな労組との団体交渉において、当時のMK総務部長は「男性は全て総合職、女性は全て一般職である」と主張しました。そして、地労委の第8回審問(1996年2月21日)では、「総合職は現場の監督、営業の外勤、広範囲な事務を担当する者」と述べ、第10回審問(1996年4月25日)では「身障者の男性は一般職として扱う」と述べています。団交において、1986年から実施してきたと言いつつ、その10年後に「いろいろ当社でチェックして、身障者の男性は一般職として扱わざるを得ない。新しい体制作りをやっているので、今年からそうした」と言い換えているのです。会社の言い分からすれば、過去10年間は全ての男性は「総合職」であったが、地労委審問時点から身障者の男性を一般職に変えたということになります。
団交では、事務職男性の業務は「資材は資材管理、購入品のチェック、値段の交渉、経理は出納や小切手の責任、総務は事務所の維持管理の物品購入、戸締りなど」と述べていましたが、地労委では「広範囲な事務」として、「将来的に営業とか監督になる『可能性』を含めている」と言い直し、今現在の仕事が広範囲というのではなく「可能性」として広範囲とこれもまた言い直しています。「可能性」というものは、当たり前のことですが、性別に関わり無く誰にでもあるのであり、「可能性」だけを持って「総合職」という処遇が合理化されるはずはありません。
既に証言しましたが、京ガスの主張する「非限定、限定」という『コース別制度』は、地労委が結審した後に初めて出された言葉です。そして、「総合職、一般職」という『コース別制度』はもちろん、「非限定、限定」という『コース別制度』も、過去から現在に至るまで、職員の誰一人にも通知や確認は一切為されていません。
これについては、MK証人が、「非限定、限定」を改めて提案した新賃金規程案(甲第27号証)について、「職組とはほとんど交渉していない。おんな労組との話がついた上でないと実施しないということで」と証言しています。結局、会社が賃金表を提出しなかったため、おんな労組との話し合いは付かない状態で終っています。
つまり、「総合職、一般職」、その後の「非限定、限定」という会社主張の『コース別制度』はどちらも案のまま頓挫したものなのです。
1995年1月17日の地震に対して、大阪ガスの要請により工事会社は全社をあげて応援に駆けつけました。これは、大阪ガスの管轄下のみならず、東京ガス及び東邦ガスなどの工事会社からも1000人単位で参加しています。
京ガスはこの応援を「不眠不休のつらい仕事だった」と主張していますが、「不眠不休」は1月17日の当日のみです。この日は、近畿に在住している人は誰でもご承知の通り、交通は寸断され、通信も不可能になりました。当日午後から準備し、夕刻に出かけた京都地区の大阪ガスの人達や工事会社の社員たちが現地に辿りついたのが夜半であった訳です。そして、当日は確かにすぐさま仕事をしなければなりませんでした。しかし、翌日からは通常通りの昼間の勤務で、概ね午後7時から遅くても9時までには作業は終了しました。また、1995年当初は、京ガスは本管工事会社として認められておらず、その資格を取得している人はいませんし、支管、供給管の修繕工事、内管の修繕工事のみ行うことができたのです。
地震対策は大阪ガスが全てを取り仕切り、工事会社の社員は大阪ガスの指示通りに動くことが命じられました。この時監督も参加していますが、大阪ガスが付きっきりで指示を与えたため、必ずしも監督職の資格は必要無く、現に監督補助者KMさんが常駐していました。総務部のNM氏も参加したと会社はしきりに言っていますが、彼は作業長格の資格しか持っておらず、わずかな期間、内管作業長の下に仕事をしたことになります。
この地震対策に対して、大阪ガスは緊急特別工事として、当時、36,500円の日当を監督、作業長、工事士の区別無く一律に補償しています。もちろん残業代は別です。当然ではあるでしょうが、大阪ガスの経費で飲食も全て賄われました。
私はこの地震対策に対する見積業務を一人で担当していました。そのため、日報その他の業務内容の詳細な報告の全てが監督から私に提出されています。当時、建設部だけで、8,938万円の見積書を作成し、大阪ガスから入金されました。この内訳は労務費(残業を含む)、車両損料、使用材料、宿泊手当、食事等特別手当などです。
法外な利益ということで、金額は明確では在りませんが、工事士も監督も特別な一時金を得たと聞いています。
監督や工事士たちの苦労は充分に認められますが、「不眠不休のつらい仕事」という会社の主張は明らかに誇大な表現であり、実態とはかなり異なるものでした。
総務部のNM氏についてMK常務は陳述書で「卓抜した能力がある」「総務部を統括している」と書き、尋問では「良くできた人」と証言しています。「卓抜した能力」とは一体何のことなのか?また、「良くできた人」とは彼の性格なのか?態度なのか?会社に対する忠誠心なのか?さっぱり分からないままです。NM氏の仕事内容について具体的に出されたものは皆無です。「総務部を統括する」といっても、彼の部下はわずか3名であり、資材部を含めても5名です。また、彼の上司である取締役MK常務、取締役TN総務部長などが「統括者」としての立場にいるはずです。常務や総務部長などが「統括者」でなければ、一体彼らは何のために親会社から出向してきているのか分かりません。まして、社員総数が100名足らずの小さな企業の総務部で「卓抜した能力」が必要とも思えません。それが真実であるならば、具体的な証拠を示し、証言にも立って誰にでも把握できるようにすべきだったのではないでしょうか。
NM氏は1987年5月に自称「倉庫係り」として採用され、3年間資材部で材料の入出庫に携わっていました。その後1990年4月に総務部の事務職となりました。
上記に述べましたが、会社はおんな労組との団交で、総務部の仕事は「事務所の維持管理の物品購入、戸締りなど」と答えています。現在、私が把握できている彼の仕事は、建設部や設備部、住設部などの工事代金を各班毎に振り分ける仕事。これは私が従事するような各部署での検収業務が滞りなく行われた上で、自動的に総務部のコンピューターで打ち出された資料に基づいて、班管理を行うものです。これを会社は原価管理と称しているようですが。他に、例えば朝礼時の司会(月1回)、新入社員の社内外の見学時に付き添い及び検収用のマニュアル配布(数年に1回)、資材部の部員に材料の片付けや社屋の掃除など指示(随時)、懇親会の場所手配(年1回〜数年に1回)、労災発生時の保険会社との交渉(随時)、その他各種物品の購入または修理など。
日常的にはパソコン業務が主です。
これらの仕事内容において、「卓抜した能力」の必要性は客観的に見ても認められません。他にあると言うならば、会社から明確な証拠を提示すべきだと考えます。
NM氏は1994年には職組の委員長でした。おんな労組が団交を申入れた際、会社側に団交を拒否するよう「断固要求」し、同じ年の11月には屋嘉比を職組から追放することを画策した上、遂に追放した人です。会社にとってはその意味で確かに「良くできた人」だといえるのかもしれません。
京ガス職員の2000年4月の昇給はゼロでした。一時金も京ガス始まって以来、過去最低の金額で妥結を余儀なくされました。そして、工事士に至っては、12,5%の賃金カットを強行しています。ところがNM氏のみが課長に昇格し、5万円の昇給(役職手当分)を得ているのです。2000年に京ガスで昇給できたのは唯一NM氏だけでした。京ガスは現在赤字経営で「倒産するかも」と社長自身が女性社員を初めとする各社員にことある毎に通告してきました。そのため、希望を失い早々に転職した女性社員(NJさん)もいます。
社内ではあらゆる場所に大きな字で『節約』という文字が張り巡らされ、職員全員が、電気、電話、コピー、ファクスに至るまで10円単位での節約を義務付けられました。文字通り実質賃金が大幅に切り下げられる中で、何故彼一人だけが昇格し、年収で67万5千円(一時金込み)もアップしたのか、不思議な会社であると思わずにはおれません。
もしも、賃金台帳が提出されず、事務職男性の賃金が公開されなかったとすれば、取り立てて業績を上げるという部署でもなければ、その実績も見当たらなNM氏が昨年4月に課長に昇格できたでしょうか。疑わしい限りです。
どちらにしても、確かな物的証拠が無いまま「卓抜した能力」「良くできた人」という会社側の意見だけでは、誰にも真実は把握できないということだけは明白です。
2001年2月8日
屋嘉比 ふみ子